初の岡本太郎作品
ついに入門しました。岡本太郎の「自分の中に毒を持て」
自分が格好いいなと思う多くの人がこの本をバイブルと言っていたり、読んでみた方がいいと言っていたのを聞き流しながらここ数年を過ごしてきましたが、ふと思い立って購入。読み始めて爆発でした。
芸術は爆発だ
で知られる岡本太郎の代表作とも言える本だと思いますが、まぁ面白いです。まだ第1章ですが、考えたことやメモを吐き出しておかないともったいないと思って記事を書きます。最近読んだ「人生こんなはずじゃなかったの嘆き」とも重なる部分があり、乱読するもんだなと。そして同時に乱読したりないなとも感じました。
関係ないですが、岡本太郎に関連する熱狂ってすごいんですね。今まで全く知らずに生きてきました。無作為なインプットのいいところの醍醐味を感じます。これとかもとても面白い、興味ある。
明日の神話
1章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない
さて、内容を読んだ感想に入っていきます。
この本ずっと読みたかったのもありますが、
「迷ったら、危険な道に賭けるんだ」
という言葉に強く惹かれたのも購入を決める1つのポイントでした。僕のもう一つの愛読書でもある”武士道”でも同じような言葉があります。選択肢は辛い方を選択する。いろんな哲学書や啓発本で言われていることであり、自分を支える言葉でもあります。1章ではこの真髄とも言える考えが、強い言葉で書かれていた方に感じました。
「人生は積み減らすべき」
という言葉も新鮮でした。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなると。高校生が終了してから、なんでもできた8年前のあの時期と比べると、自分も余計なプライドやエゴを積み重ねてきてしまったものだなと思います。
岡本太郎曰く、人生に挑み本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命を開くのだ。それには、心身ともに無一文、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど命は分厚く、純粋に膨らんでくる。
とのこと。心身ともに無一文ってすごいですよね。今、無一文が嫌だという感情で一生懸命働いたり、身の回りを固めようとしているのに、、、生きる力の差をありありと感じて絶望します。
この章の後半では、そんな弱い自分を受け止めた上で、今までの自分なんか蹴飛ばしてしまえばいいとも言っていましたが、改めて読み返すと自分の弱さに呆れます。
また、だいぶ序盤ですが好きな文章があるので引用させてもらいます。
自分に忠実に生きたいなんて考えるのはむしろいけない。そんな生き方は安易で甘えがある。本当に生きていくためには、自分自身と戦わなければダメだ。自分らしくある必要はない。むしろ人間らしく生きる道を考えてほしい。
忠実という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。忠は自分に厳しく残酷に挑むということ。
つまり、自分をつっぱなして自分と戦うのが大事なのである。これで逆に本当の意味での生き方ができる。
長めですね。忠実に生きる!などと息巻いて格好つけて生きるのは、自分に甘えた生き方なのだそうです。これはどういうことなのだろう。自分らしさを大事にせずに、自分を否定し、疑い、ぶつかって乗り越えろ。みたいなことなのか?きっとそのようなことなのだろうと思います。
例えば、俗物的な夢、よくある人の夢に乗っかって、自分もお金持ちになりたいとか、権力が欲しいとかそういうのは自分の欲に忠実ではあるが、これではいけないのでしょう。そういう格好つけたものではなく、自分に残酷に挑む。これはある意味では、プロセスに目を向けろと言われているような気がします。
プロセスに目を向けるからこそ、毎日が自分との戦いなのだろうと思います。
自分自身の最大の敵は他人ではなく自分
とはよく言ったもので、綺麗な言い回しですが本当にその通りだと思います。結局いつも自分を負かすのは自分です。甘やかすのも鞭を振るうのも全部自分。まぁいっかなんて妥協を決めるのも自分だし、後一歩、もう少しだけ頑張ろうと思えるのも全て自分。そうなると本当の敵は自分ですよね。
16ページ、岡本太郎は言っています。
「僕が危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは25歳の時だった。パリで生活していた頃だ。」
僕は今25歳も終盤で改めてやるせなさや憤りを感じている一方、岡本太郎は人生を賭ける決意をしていました。
ちょっと思い出に浸る
少し自分の話をすると、3年ほど前に、エンジニアとしてバイトできるようになりました。時間単価も上がったことで、大学の学費が払えなくなる心配が少なくなりました。それまでは毎日ギリギリまでバイトして、課題をやって、為替の勉強をして、稼げなくなったら退学という日々を送っていましたが、その怒涛の日々が終わった時に自分の考えを整理していた時のことを思いました。
自分が落ちて辛い時は、些細なことにも幸せを感じていたのですが、マイナスに振れることがなくなると今度は前以上に深く幸せを感じることができなくなっていきました。求めていた安定だったのに、いざ安定してしまうと今度は物足りなくなったのです。その時に、自分は死ぬまで頑張り疲れないといけない。と、決めたのだと思っていました。
ですが、思っただけでなんてことはありませんでした。それからも辛いことはもちろんありましたが、些細なことです。毎日毎日淡々と命を燃やす日々、みたいな生活は遠ざかってしまいました。
最近徐々にその日々が戻りつつあります。その起点は本を読むことであり、自分の考えを書くことであり、そして自分の時間と考えを大事に過ごすこと。でした。
思い出し話おしまいです。笑
要するに、もっと日々燃えるような毎日に戻りたいなと思っています。そんな環境と雰囲気が最近自分の中心から漏れ出ているような気がしてちょっと興奮しています。
さてさて内容に戻ります。
少し進むと、岡本太郎は「死に対面する以外の生はないのだ」と言っています。とんでもないです。その理論があるならばやはり、不幸なくして幸福なしということにもなりそうです。(岡本太郎はどうやら幸せという言葉を嫌っていて、代わりに歓喜という言葉を使うそうですが。)
成功とは
人間にとっての成功とはなんだろうか。最後に短いが考えてみます。
夢に賭ける人には、成功と失敗があるように思います。そして、人間の99%は成功しないで終わると岡本太郎は言いました。成功しないことの方が普通なのだと。ただ、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者では天地のが差がある。
それはその通りだと思いますね。挑戦した不成功者には再挑戦という素敵なチケットがあるけど、そうでない不成功者はただただ成り行きに身を任せ、虚しい生涯を送ることになる。
そうなると、人間にとっての成功とは、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか。努力したかどうか。
これが成功の有無を分けるのだと思います。このためにまず人間は夢がなければいけない。夢がない人生は不成功である。もはやそう言っているように感じます。
ただ、改めて自分の夢を問われるとわからない。自分の夢についてゆっくり考えることもないからかもしれないし、自分のこえを大事にしていないからかもしれないです。それでも最近うっすらある自分の心の中の欲求は、何かを育てたいということかもしれない。そう思いました。
小さい頃は、ムシキングのたまごっちみたいなやつをやってみたり、泥団子をさまざまなバリエ=ションで大量に作り、最も硬いものを作る挑戦をしてみたり。生き物を飼って育てるのはもちろんとても好きでした。それが終わるとポケモンなりなんなり、何かを自分の頭と手を使って育てる。1→10にする経験が自分は好きなのではないかと思います。
これからは、具体的に今そうだとして育てたいものはなんだろう。と考えてみることにします。
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